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2019年11月24日日曜日

サードアイ




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無心に動の瞑想(いろんなダンス、ヨガ、7筋トレ、運動)をし始めて
ひと月以上経った。

もちろん静の瞑想(マントラ)も毎日続けています。

日にもよるけれど
大体、静の瞑想後の心のすっきり感と同じように
動の瞑想あとの爽快感がやってきます。
それと高揚感も伴うのが動の瞑想のいいところ。

ダンスにしろなんにしろ、何の目的もなく
うまくやろうと全く思わず、自分の体の動きに身を任せます。
ただただ体が動くことが楽しい、
無の境地で動きまくること、汗をたくさんかく、
そうすると、なにがなんだかわからないけれど
頭が真っ白になり、爽快感と高揚感がやってきます。


今日はアイアンガーヨガ。
好きな先生でまるきり宇宙人みたいでカエルちゃんみたいに可愛い女性。

その人の声の誘導ヨガが、誘導瞑想のようでとても心地よく
一番最初にヨガのときに、座って目をとじると完全に地球とつながるのが見え
グラウンディングってこういうことかと体感しました。
(ずっとグラウンディングってどんなんだろ?と思ってたからなおさら嬉しかった)

それからヨガとダンスは欠かさず毎週やってますが
今日のヨガは私自身が貧血なこともあり、体中痛いので
あまり力を入れずやってると、
最初の座るポーズから目を閉じると、眉間の間のチャクラが開きました。

これがサードアイか!!
と、生まれて初めて体感!

今までの人生で何度も予知夢を見て、何度も未来予想がわかったこと
がありますが、(未来の体感でパートナーとの体感が見えた)
(理由はなく、ただ、そうなると体感すること)
体感、という部分でこのサードアイノチャクラだけは感じたことはなかったのです。
だからうれしかったけど、
貧血もあり、ふわふわしてると、
チャクラがどんどんぐるぐるぐるぐるぐる回り、
そのおかげで前進もぐるぐる左回りに回りはじめるので
ヨガに集中できないのでなんとか食いとめました(笑)

動の瞑想で体感する感覚が来ています。

静の瞑想で気づきがありますが、そこに体感が伴いはじめた。

自分のマインドではなく、ハートに感じること(スピリット)に
生きようと決めてから(今年の夏)

孤独になろうが死のうがなんてことないんだな、
と完全にマインドを超えたところで実感しはじめてきた11月。

そうだ、どっちにしろ、最初からわたし孤独も死も恐れていなかったと
気づきはじめています。
子供のころから死ぬことも全く怖くなかったし、
ただただ厭世観だけの人生だと辛い思いをしました。

けれども人間の愛を失うことを恐れていたこの1年半のわたし。

ひとりでいたころの幸せ感至福感に勝るものはなく
最初は、一人でいた方が幸せだったな、とすら思っていたけれど
すっかり人間の情に飲まれマインドの世界にどっぷりつかり
愛に依存すらしていなかったけど、
どこかで怒りとむなしさと寂しさと悲しみを抱えていた。
でもいまは、
失うものなどなにもない、と、深い部分で気づいています。

愛と光になりたいと
ただただ愛と光になり、誰かを照らせれば、と願っていた。

でも一番愛と光を照らすべきはわたし自身だったと
やっと気づきだした2019年。

わたし自身の愛し方も知らなかった。
あまりにも、友達や家族や他人のことに神経を使いすぎて
生きてきたからね。


手探りながら、おぼつかない感じでも
わたしを愛するなら、どうするべきか
毎瞬感じて見つめています。







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2019年11月21日木曜日

No fear, Nothing of myself





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ダンス=祈り


うまく動くとかどうでもよくて
命を表現する

それに夢中

静の瞑想

動の瞑想=踊りダンス

祈りでよく踊りが使われることは周知の事実


身体を天に任す=踊り

かっこよく踊るとかではなく命の衝動に従うこと=ダンス

意味があるかどうかではなく
頭で理解できるかどうかではなく

生命の喜び に体を任す=ダンス

ジャンル関係なく
ダンスに夢中ないま

ぜんぜん体が思うように動かなくても
この生命のの喜びはわたしを満たす


踊ること=無意味に身を浸すこと

無=動=静


生きることは実は無意味だと昔から知っていた

無意味に起こる感情
悲しみ、怒り、喜び、不安、愛

それは実は無意味だとしてもどれだけ体感しているかだけだと感じる日々









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2019年11月18日月曜日

No Exception










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妄想と現実との違いなんて この世ではほぼない

わたしたちの知覚できる脳や五感レベルのこと


どうせ幻想ならどこまで楽しむか
それだけ


宇宙異次元感覚と地球(日本集合意識)感覚

わたしは昔から宇宙意識

どれだけ麺をすする音が日本的であろうと
わたしは幼少期からどうにもいやだった
(家族も麺をすすっていたが不快だった)
麺でなくても音を立てて食べるという行為が不快で仕方なかった
それは現在でも。

日本人で生きて幼いころから家族も音を立てているのに
わたしだけ音に敏感というか、その行為自体の品のなさに閉口していた
日本人でいるかぎり我慢しなければならないかもしれないけど
何十年も耐えてこんな歳になってもどうしてもいやだ。

ラーメン大好きだけど、音を立てる人のそばにいると不快になるのが難点。
気にしなければいいという愚鈍な人の意見は無視する



宇宙感覚は
笑いを重視する

一般常識集合意識既成概念が笑うという行為を許さないシーンであっても
宇宙感覚は笑いをこらえきれない

なんにせよ
笑える視点を見つける天才的感覚が優れているのが
宇宙感覚の利点だろう

良い悪いなんてないけれど


怒りや苦しみも悲しみも孤独も
すべて何が悪いんだろうという宇宙感覚を忘れずにいれば
この世のすべては
楽しいコメディ劇場となる☆


良識、とは、道徳とは

じぶんの本当の心に従うときだけだ


ほかのひとは存在しない
そう考えればわかること

















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2019年11月4日月曜日

無執着










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無執着

ようやくこの境地に至れた

この心境になるまで

やれるかぎりのこと 全部やったから

自分の持てる限りのエネルギーや献身全部やったから

天国の喜びも地獄の苦しみも味わったから

死ぬほど泣いて死ぬほど怒って
心から幸せだ感じたし
苦しみの果てに見えた愛と光

自分がやり切った感がある

せっかちなわたしだったけど一年半も我慢強く頑張った

どんなときも

愛と光をずっと忘れなかったことも誇りに思いたい



自分がひとを愛することを学んだ

自分を大事に愛することも学んだ


いくら自分が愛していても 
相手の心は自由なのだ

もちろんわたしの心も自由だ

だから 執着なしに手放せる

こんな日が来るとは思わなかった

本当にすっきりしてる

やれる限りのことをやった、という点が大きい


人事を尽くして天命を待つ

天命がこの答えなら受け取ります。


人間の知覚では測れない

小さな一人の人間の脳みそで判断できないことが

ようやく体感しています。

わたしたちには理解できようもないこと



これもぜんぶ善いこと


わたしはやっと自由になれた








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