ほどなくして気づいた
わたしは何時ごろからかわからないけど
サバイバルゲームとしての現実社会になじむために
ほんとうの自分を消し去る術を日常化してしまった
人に嫌われないように
人に変な風に思われないように
イカレてると思われないために
生活するためには「一般化された普通でいなければならない」
必死に自分を押し殺し
ほんとうの自分の思いや感情すら忘れてしまっていた
そして一見、親しいと思われる人たち、血族ですら
わたしはその人たちのために
自分の身や心を削ることが最善だと勝手に思い込み
ほんとうの自分の気持ちを消す術を使い続けた
その人たちの意図に沿うように行動し続けた
自分が苦しいとかすら思わなかった
それが自分の幸せだとすら思っていた
そしてわたしというものがなくなった
自己は「悟り」の世界では不必要なものだ
自我があるから人間は苦しむ
自我があるうちは幸せにはなれない
その真理は痛いほどよくわかる
自我が自分を守ろうとしているうちは
苦しみなど消えやしないのだ
でも意図して
自我を消し続けていた人生だったとしたら?>?
結局 生身の肉体を持った生き物として生きる以上
人間として在り続けなければならない以上
自我がどれだけ必要なものがようやくわかった
わたしは自分がほんとうに好きなものに
自分を溺れさせてもいいのだ
人であれ 物であれ すべてにおいて
自分のすべてを捧げて生きたい
後先なんかどうでもいいのだ
これをしたら どんどん人が遠ざかっていくだろう
自分を理解されることは永遠にないだろう
そんなことすら どうでもよくなるだろう
自分の思いのままに
ようやくその地点に立てた気がする
「どう思われたっていいよ」
それがスタート地点
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