Translate

2015年8月17日月曜日

サットサン@大阪



大和田菜穂さんのサットサンに参加しました。
2ヶ月ほど前に募集があり、阿部さんへの信頼と勢いで申し込んだのですが
7月半ばくらいから、探究心が薄らいできたというか、
すべてがどっちでもいい、ということが起こっていたので、
正直、期待もワクワク感もなく、18000円も払ったのでもったいない、
という気持ちだけで参加しました。

クロスウェーブに入ってすぐ、阿部さんの姿を見ました。
最近亡くなられたお母様のことで哀悼の意を伝え、
阿部さんを少しでも慰めたいと思いましたが、
それも私自身の自己満足になりはしないか、と
いろいろ考えすぎて、何も言えませんでした。
あれこれ思考の波に飲まれず、直感で阿部さんを慰めれたら
よかったと後で後悔しました。

サットサンの内容ですが、本当に眠気が吹っ飛ぶくらいよかったです。
何度か、眠気に襲われましたが、応答が始まるとシャキっとします。
長くて同じ応答の繰り返しにイライラする、という前評判を口コミで
読みましたが、実際、ぜんぜん時間が短く感じられるくらい
あっという間に時間がすぎ、濃厚な良いイベントでした。
もっとこの応答を聞き続けていたいような気持ちにもなりました。

大和田さんは4月に動画を見たときは、「>>>?」と
いう気持ちでしたが、著書の内容は素晴らしいものだったのと、
阿部さんがここまでプッシュする人というのを
生で体験したいという気持ちが6月に起こったので参加しましたが、
実際、このサットサンに参加して、何も変わっていないのですが、
根本的に「探求」する個人であろうとしていた気持ちだけでした。

そしてその気持ちも行動もすべてノーコントロールで
起こっていたのだな、と今日つくづく感じました。
だから、人生すべて起こることを観察するままでいいのだ、と
とても楽になりました。

会場には、堀澤老師や、地球ひろしさんの姿も見受けられました。
2人とも、質問されたのですが、菜穂さんにばっさり切られていましたw
阿部さんですら、ばっさり切られていました。
ある意味、痛快でした。

大和田さんが特別だとも思いませんでした。
人間性をみても、良い人間だとも思いませんでした。

でも、そこに「真理」「真実」が一貫してありました。

変な期待もなかったぶん、大絶賛もしませんが、
彼女がいつまで「個人としてではなく全体」の側にいられるか
期間はわからないから、その全体としておられる時に
会えて、同じ空間にいられたことはとてもよかったです。

クリックありがとうございます。 

2015年8月7日金曜日

無言の業



最近の人間関係でつくづく思い知ったのですが
「言葉」の弊害@@

同じ言葉を話す日本人同士でも
ぜんぜん理解しあえていないのがよくわかります。

逆に言葉が共通していない外国人のほうがわかりあえることもあります。

感じあうということが、一番大事なので、
話さないほうがいいのではないか、とさえ
思うときがあります。

わたしは過去、子供のころから、
何かと弁が立つほうだったので、
そのせいで、「角が立つ」ことも多く苦労してきました。

静かに微笑んでうなづいているだけ、だったら
問題は、いろいろ起こらなかったかもしれません。

用は「話すこと」=「持論を持つ」=「思考が自分だと思う」
につながりやすいので、
結局は、話すことは、「思考の種」です。

そこから、他人との問題も起きます。
一番いいのは、不必要な他人と関わらないことですが、
他人と関わらなければ、現代社会は生きていけません。

なので、できるかぎり
多くの思考の種を他人にも自分にも作らせないように
「無駄な会話をしない」、ということに尽きます。

本当に、人生の充実感を求めることも少なくなったので
友人と呼ばれる「知人」のような無駄な人間関係の清算が
始まりました。

人間関係は、真理の究極でいうと、結局は「自問自答」です。
なので、無駄なことはやめる方向性へ向かっています。

クリックありがとうございます。 

人間関係の変動


ここ数ヶ月、思考の大半の元が「人間関係」


テラさんのブログで、まさにリアルタイム!で同じ思いだったので
転記します。

イエスは、どこかでそれがなにか優越感を与えてくれたり、
「オレは充実した人生を生きてる」 という実感を与えてくれたりすることが楽しめない段階へ移行した。
 もう、その 「遊び」 には飽きたのだ。
 ここへきて、「真に持つべきもの」 について考えた。
 断捨離なんて、二千年以上前の大昔から、誰かは考えていたこと。
 ただ、物質文明と化した今特有で、「ムダなモノを捨てる」 という、くだらないことにこの考え方は応用されている。そんなもん、捨てたきゃ捨てたらいいし、捨てたくなけりゃ捨てなければいい。捨てないその事実があなたを不幸にするなどない。それは、あなたがたがそう決めつけるからだ。
 むしろ断捨離の原点は、モノの整理ではなく 「人間関係の整理」 にこそある。

イエスは本気で友達を減らしにかかった。
 ここで言う友達とは、「フェイスブックで友達、あるいは趣味 (利害) が一致するので、何となく行動を共にしたり、ワイワイ群れておしゃべりをする人間」 のこととする。


人の聞きたがる言葉を、頑張って言う必要はありません。
 あなたの魂が、言いたいと叫ぶことを言いなさい。



 なぜなら、それを気にするような人は
 あなたにとって重要な人たちではありませんし、
 あなたにとって本当に重要な人たちなら、
 そんなことは気にしないだろうからです。


クリックありがとうございます。