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2015年8月7日金曜日

無言の業



最近の人間関係でつくづく思い知ったのですが
「言葉」の弊害@@

同じ言葉を話す日本人同士でも
ぜんぜん理解しあえていないのがよくわかります。

逆に言葉が共通していない外国人のほうがわかりあえることもあります。

感じあうということが、一番大事なので、
話さないほうがいいのではないか、とさえ
思うときがあります。

わたしは過去、子供のころから、
何かと弁が立つほうだったので、
そのせいで、「角が立つ」ことも多く苦労してきました。

静かに微笑んでうなづいているだけ、だったら
問題は、いろいろ起こらなかったかもしれません。

用は「話すこと」=「持論を持つ」=「思考が自分だと思う」
につながりやすいので、
結局は、話すことは、「思考の種」です。

そこから、他人との問題も起きます。
一番いいのは、不必要な他人と関わらないことですが、
他人と関わらなければ、現代社会は生きていけません。

なので、できるかぎり
多くの思考の種を他人にも自分にも作らせないように
「無駄な会話をしない」、ということに尽きます。

本当に、人生の充実感を求めることも少なくなったので
友人と呼ばれる「知人」のような無駄な人間関係の清算が
始まりました。

人間関係は、真理の究極でいうと、結局は「自問自答」です。
なので、無駄なことはやめる方向性へ向かっています。

クリックありがとうございます。 

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