ちょうど 2つの方向性で 悩み迷っています
選択肢は 無限にあります
シーナアイエンガー著
情報収集が必ずしも選択後の満足度のアップにつながらない
一方で私たちは「選択肢を多く持ちたい」と無意識に思い、
そのために時間やエネルギーを浪費してしまうことがあることもわかっています。
アイエンガー教授は「選択肢の『質』よりも、
選択肢が存在するという『状況』を重んじるあまり、
好ましくない決定をしてしまうことがある」と指摘しています
アイエンガー教授はギリシャの叙事詩「オデュッセイア」を引きながら、
古代ギリシャの時代から「わかっちゃいるけどやめられない」
人間の意志薄弱な性向は知られていたと指摘します。
そんな時に、「自分の意志で難しい選択を他人にゆだねることができる」
ことの大切さを強調しているのです。
「選ぶべきか、選ばざるべきか」という問いにどう答えようと、
選択を行うのがあなただということに変わりはない。
でも選択を行うからといって、必ずしも辛い思いをする必要はないのだ」と。
本書の英語の原題は「The Art of Choosing」
つまり「選択という芸術」です。日本語タイトルと正反対です。
おそらく日本では「選択」「決断」というと「胆力」とか「意志力」という言葉、
根性論が先行してしまいがちなので「科学」の側面を強調したのでしょう。
逆に、アメリカでは「合理的」「情報収集」が
大切だという思い込みがあると思います。
人生は選択の連続ですが、「選択と偶然と運命の三元連立方程式」に、
さらに「感情」を加えたとき、
「ただ1つの正しい解」は見つかりそうもありません。
「だからこそ選択には力が、神秘が、そして並はずれた美しさが備わっているのだ」
とアイエンガー教授は言うのです。
・・・・・・・・・・・・・・・
ジョナサンケイナーより
私たちがすべての人々を好いていて、
すべての人々が私たちを好いているところを想像してみてください。
きっとかなり退屈な人生になるに違いありません。
だって、誰のうわさ話をすればいいのでしょう?
あら探ししたり、悪口を言ったりする楽しみはどこにいってしまうのでしょう?
いやまあ、ちょっとした冗談です。
水星が星座を移動する今日、あなたは選択することができます。
批判的な見方をすることもできれば、もっと高潔な考え方をすることもできます。
狭量(きょうりょう)でいることを正当化する理由はあるかもしれません。
どうして自分が、おもしろくない、ちょっと聖人的な選択肢を
取らなくてはならないのかと、自問することさえあるかもしれません。
なぜなら、あなたにはそれができるからです!
////////////////////////////////////////////
あなたがどれほど素晴らしいかということを
誰かがあなたに言ってくれた時からずいぶん経っています。
あなたは時々、まったく筋違いなネガティブな自己イメージに
負けてしまうことがあります。
そしてタイミング悪く、あなたが大事に思っている誰かの
不注意な言葉によってそれが再確認されてしまうこともあります。
でも、その感情は正当化されるものではありません。
今週は、そろそろ他の人たちの態度をじっくり見直してみるときです。
もし彼らが私のようであれば、
彼らがあなたに対して敬意しか持っていないことに気づくでしょう。
信じてください。今あなたを尊敬しているのは私だけではありません!
きっともうじき分かるでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
願い通りにいかなくてガックリ落ち込んだ時にちょうど見た上がるコトバ
さとうみつろうブログより抜粋
「これまでの私の願いが届いてないんじゃないですか?」
「私の注文、入ってないんじゃないですか?」
この、宇宙への疑いも一緒。
注文が入っていない(宇宙に願いが届いていない)状態を想像するだろうから。
想像図(宇宙に願いが届いていない状態)こそが、私の願いです!って。
「私の願いを叶えないでください」という注文として確定するのが、わからないの?
だから、何度も言ってる通り、100%宇宙を信頼する。
今日、あなたに起こる事すべてを、信頼する。
100%信頼している、あの、宇宙さま、が運んできてくれた、
今日という現実の全てに、ミスがあるわけがない!
その姿勢のトキ、100%の信頼だと言えるのでは?
その姿勢のトキ、全てへ「ありがとうございます」と口から出ます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ということで、今日起こったことは すべて良いこと!
落ち込む必要なんかなくて、私が選択しなくても
もっと良いことにつながるために、他人がガックリさせてくれたんだな、
と、納得!
ある種、私の深い部分での選択が、より良い方向へ導いてくれてるんだ