Translate

2017年3月8日水曜日

身の程にあった願望


クリックありがとうございます。 


先日、宇宙系本の著者講演会ワークショップミックスみたいな会に参加しました。

その著者の公演中に、参加した人ひとりひとりに
今、望んでいること、こうなりたい自分をそれぞれ発表しましょう、
ということになりました。
不特定多数の前で自分の願望を宣言すると実現しやすいとかなんとかで;;

ウゲゲゲ・・・
人前で話すことが慣れてない私からすると、自己紹介だけで
死にそうで、いやな気分になります。
そのうえ、自分の内なるひそかな願望を発表しろ、なんて・・・・
完全にその場を立ち去りたい、場違いな空気が流れ始めました。
とにかく逃げたい!と思いましたが、逃げられませんでした。

ひとりずつ「○○になりたい」「○○したい」と一言で済むものではなく、
みんな話し上手なのか、慣れているのか、
どんどん自分の人生ストーリーやら、関わる人の話を延々
トークされ、自分はこうなりたい、とはっきりおっしゃっていました。
もちろん、それはそれで、自己表現が出来ていてすばらしいのですが、
今日会ったばかりの人40人以上の前の人を前に
それだけみなさん話をひとり5分くらいもできるのが
自己陶酔に浸っているのかなんなのかわかりませんが、
よく話せるなあ、、、と感心しきり。。。。
しかも、皆さんの夢はビッグなものばかり・・・・
年齢は私よりもはるかに上の方ばかりなんですけど、願望が大きい。

私も内心、よく自分の心を観察しましたが、
それほどこうなりたいっていう願望もなく、
「不健康な体質から、超健康体質に移行したい」
くらいしか思い浮かべられませんでした。

それに、宣言しなくても、実現できる、と自分で確信しているので
あえて、知らない人の前で自分の夢を語りたくないと強く思ったのも確か。

平凡に暮らすことや、平和な気持ちでいられること、
身の程にあった願望を持ったほうが失望感がないから楽、
というよりも、その大きな夢をかなえたら自分は幸せになれるのか
というところで、それほど大差ないと感じました。
むしろ、大きな願望は、無駄な力が入って、邪魔だと思いました。


どんな時も、上がったり下がったりいろんな自分がいる。
自己実現できなければ、自分を嫌いになるわけでもない。
今のままで十分とも思わないけれど、今の自分でも全然大丈夫。
願望がかなった自分でもいい、どっちでもいい、というのが正直なところ。

本当にやりたいことなんて特になくて、
でもどこかでストッパーがかかっているのかな、
と自分を客観的に見れる一日でした。


誰もいないところで、自分の夢を大きく宣言したって
それもそれで叶うときは叶うでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そう思ったこの日に今日の言葉ぴったり。

バカにされたい人など誰もいません。
でも、「この人から軽蔑されても、名誉勲章をもらったくらいに考えておけばいいや」
と思わせるような人たちもいます。
誰かがあなたのことを誤解し、あなたの力を過小評価しているようですが、
「自分の力を証明して認めさせてやろう」などと思う必要はありません。
ただ、いさぎよく、常にすべての人々を喜ばせることはできない
ということを受け入れてください。
今あなたにできることを実現することにエネルギーを
使ったほうがはるかに建設的です。
人々があなたに課したがっている限界を乗り越えられると信じているかぎり、
あなたがやれることにほとんど限界はありません。


クリックありがとうございます。 



0 件のコメント:

コメントを投稿