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2014年12月4日木曜日

禅1

「禅」
阿部さんの禅アカデミーが始まるくらいから、
実は「禅」を日々に取り入れるようにしていました。
ひとつひとつの行動に心を込める
ひとつひとつの動作に命を感じる
みたいな風にしていきたいのですが、
急いでいたり、日々のルーティンの中では
なかなか難しいことです。
それで、私はまず「歩くこと」から始めました。

一歩一歩、階段を登る
一歩一歩地を踏みしめて歩く
歩く中で感じる風や香りを感じきる
目に映る光景も味わいつくす

そんな感じに日々「禅」を少しずつでも実践していきます。
瞑想はもちろん、毎日続けています。
これから瞑想だけでなく、禅実践記録もこのブログに書きたいと思います。



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2014年12月3日水曜日

瞑想と禅



OSHOの本「JOY」を読んでいます。
眠る前なので、なかなか読み進みませんが、
その時の気分で、パッと開けたページから読んでいます。
その中で瞑想について書かれていたことで
印象的な言葉がありました。
ちょうど、ここ数日の阿部さんのリーラでの禅アカデミー騒動の
せいもあり目についたのかもしれませんw

OSHOが誰かの言葉を引用していたと思いますが、

目をつぶっている時だけが瞑想じゃない。
目を開けているときも瞑想でなければいけない。
生きる全てが瞑想だ。

という言葉に、これこそ「禅」だ!
と、大いに喜びました。
そうです、瞑想だけでは、日々の生活の実践面が怠ることもあります。
これから、禅も含めて、瞑想と禅両方の生き方を続けます。


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2014年12月2日火曜日

代謝を戻すときの注意


昨日、代謝を戻す話をしましたが、
ロータスマントラ伝授を受けて、初期のほう、
代謝を戻すのがもどかしいくらい身体を動かしたい時がありました。

瞑想を終え、代謝を戻すときに階段を駆け上りたい要求に駆られ、
実際、駆け上ったこともあります。
それの延長か、身体を大きく動かすことに駆られ続け、
瞑想を終えると、腕立てや、腹筋運動などを続けたことがあります。
そして、一週間経ったころ、生まれて初めて、ひどい腰痛になりました。

というのも、代謝が落ちた状態で急に大きな動きを続けたせいでした。

当たり前ですが、代謝を戻すときは、ゆっくりと身体をほぐす、
これが一番だと、気づく機会になりました。
なんでも経験というか、やってみないとわかりませんね。

みなさんも代謝を戻すときは気をつけてください。

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2014年12月1日月曜日

あくび

フルフィルメント瞑想を初めて伝授を受けたとき、
代謝を戻すことを教わりました。
それまで代謝を戻すということを全く知りませんでした。
瞑想が終わったあと、ぼんやり眠った状態のまま日常を過ごすことも多かったです。
代謝を戻すことは、とても大事だと教わりました。
たとえ、火事であろうが、代謝を戻すような比喩をヨガかどこかの先生が
言っていた、と智子さんもおっしゃってました。
少なくとも最低5分。
身体をしっかりほぐして、動かし、そして日常に戻ります。

代謝を戻すこと5分くらいかな。
プロスペリティマントラは、あくびが本当によく出ます。
あと、涙と一緒に鼻水までw出るモノ全部出る感じw
今日も5分くらいの間にどれだけ欠伸が出るか数えてみると
なんと25回でしたww

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2014年11月30日日曜日

かんながら

阿部さんの「禅アカデミー」。
白紙になっちゃいましたw

本当は最後の授業を見た時に、全容に違和感というより嫌悪感が出たので
参加するのはやめようと思いました。
金額が高いとかいう問題ではなくて、自分が心地よく学べないだろう、
と予想できたからです。(阿部さんと向さんを否定するのではなくてシステムに)
お金を払って何かを得る=当たり前です。
エネルギーの循環であるならば、良いエネルギーを送るなら払うでしょう。
イヤイヤ払うなら悪いエネルギーになります。
と、お金のことはどうでもよくて、
実際、このプロジェクト、ネットサンガの構想は素晴らしいですが、
わざわざ他の会社を経由しなくともいいのではないか、という疑問が
最後に残ったからです。信頼の問題です。
だから、フルフィルメント瞑想のことも一瞬、疑いの心が浮かんでしまいました。

けれども今日の阿部さんの爽やかな「白紙宣言」
それこそ、「いまここ」を生きている人から発する言葉だと思いました。
昨日の阿部さんのブログのコメント欄、あまりにも興味深くて
目が離せませんでしたが、
あれこそ、もうネットサンガが出来ている証拠だと思いました。

どちらにせよ「禅」は素晴らしいので、日常でひとつひとつ
物事を大事に生きていく姿勢、これをひとりひとりが実行すれば、
それは、もう「禅アカデミー」そのものだと思います。

私も「瞑想」と「禅」、いまある現実をありのままに生きようと思います。

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2014年11月29日土曜日

さとうみつろうさんのカノン瞑想

フライデーナイトに「さとうみつろうトークショー」に初めて行った。

阿部さん経由で「さとうみつろう」さんを知ったのだが、
最初の印象は、少しだけブログ読んで、あまりのチャラさに閉口。
中学からの親友が勧めてくれたのと、瞑想会で会った人にも勧められ、
騙されたと思って、本を買って読んだところ、なかなか読める。
で、実際会ったこともない人を判断するのは好きではないので、
思い立ったら吉日、すぐさま申し込み、金曜の夜に至る。
しかも私がずっと中に入りたかった「大阪倶楽部」という素晴らしい会場。

来てる人も成功哲学だとか、スピだとか言ってる人が多かったので、
かなりドン引きだったんだけど、彼自身はかなり良かった。
私も昔、音楽をかじっていたので、同じ匂いがした。

そして、トークよりも、一番楽しみだった「カノン瞑想」
彼のピアノに合わせて、瞑想誘導されるってやつ。
始まって3分以内に勝手に涙が出だした。
それから20分ずーーーーっと涙が流れっぱなし。
それも悲しい思い出とかに浸ってるわけでもなんでもないの。
ただ、自分の人生を遠くから俯瞰するって作業だったのに。
「大丈夫」「きっと大丈夫」という言葉に愛する人から言われた言葉と
重なり、それは、その人の想いで泣けた。
けれども、どこかで冷静に眺めてる自分が居るのがよくわかった。
瞑想というよりは、ワークだったと思う。
久しぶりに頭痛くなるくらい泣いた。すっきりした。
泣くことは良いことだな、と感じるくらい良い体験だった。
さとうみつろうさん、実際会って、本当に善い人だった。
最後のハグがなかったのが残念だったけど、また会いたいな。
ピアノの演奏、というか、音楽性も素晴らしかったし、またライブ聴きたい。
音楽の才能を見分ける耳だけは、自信があるつもりだけど、
テクニックとかじゃなくて、彼の人間性がよく伝わる素晴らしい表現力だった。

あと、カノン瞑想で、3と8がどうとか言ってたけど、
どこらへんに関係してたのかよくわからない777

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2014年11月28日金曜日

気候と気分

雨と曇空の日が続きました。
気候と気分は関係するようです。
というのも、気候というより、気圧の問題でしょうか。
脳の動き、身体に影響を与えるそうです。
10年以上前に、外国人の人が、「雨の日はいつも憂鬱になるわ」と、
みんなで言いあってるのを聞いて、
「そんな馬鹿な::気候で人の気分も変わるもんか」と
思っていましたが、彼女らは正しかったのですね。
雨のせいにしたくはありませんが、やはり気分が優れません。
身体も重ダルく、なにをするにもしんどい感じ。
そんなときは自然に任せてその気分を味わいましょう。
そんな感情を否定せず、無理にポジティブに肯定もせず、ありのままでいる。
それも「禅」かな、と思えるようになりました。

私たちは、心も身体も完全に抵抗をしなくなったとき、
本当の平和が来るのかもしれません。

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2014年11月27日木曜日

電車での瞑想にて

私は、毎日、通勤電車で、朝夕、フルフィルメント瞑想をしていますが、
本当に寝ているのか、瞑想しているのか、かなり曖昧な感じになります。

瞑想中は、起こることしか起こらない、ということで、
そのままにしています。

私が、電車の中で、瞑想をはじめ、ほとんど意識を失ったように
眠っているような状態になって、そして、降りる駅の前で
代謝を戻し、目を開けるようにしているのですが、
大体、私の横に座っている乗客の方は、ほぼ間違いなく、
深いリラックス状態=睡眠されています。

瞑想をしている人のそばにいると、同じような感覚になるというか、
リラックスして、気持ちよくなる、と聞いたことがあります。

私の横に座る人も瞑想の波動でしょうか、ほぼ眠られますw
一駅前に乗った人でも寝ていらっしゃいます。

こうして、疲れた人たちが、少しでもリラックスできるような
そんな波動が出ているのだったら、こんなに嬉しいことはありません。

自分にも良いし、周りにも良い効果を与えるように
毎日、瞑想を続けて、人間としての軸を確かにしたいと思っています。


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2014年11月26日水曜日

動物的に瞑想できればベスト





わたしは、心がしんどいとき、とにかく寝ます。
寝て駄目なら、食べます。
すごく野性的に、動物的になって、出来うる限り、自分を甘やかします。

それと同じように、瞑想も自分の使える自由で甘やかしみたいな娯楽
になればいいなと思っています。
まだまだ、「やらなければ」とか、という義務感や焦燥感がまだあります。

動物はありのままで生きているので、「いまの命」をただ生きています。
それが一番の瞑想=禅ですよね。

私もそうなれるように、日々、瞑想に加え、禅の心得を始めています。
毎日通勤で、階段を登る足の動き、寒いときに手を合わせる感触、
心臓の音、「いま感じられる」すべてに神経を研ぎ澄ます訓練。

通勤電車などで、人の会話がうるさいなあ、、と思うときも、
そのイライラ感を感じきる、等。。。
やれることはたくさんあります。

禅アカデミーどうなるんでしょう?お金取るのかな、、そしたら引く・・・w



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2014年11月25日火曜日

明らかに見る


「あきらめる」=「明らかに見る」

ということをふと思い出しました。

私たちの苦しみは、必ずどこかでなんとかなっただろうか、
これからどうなるだろうか、とまっすぐ明らかにモノを見ようとしてません。

過去のこともごちゃごちゃかき混ぜて考え、真実を歪めています。
元々、真実にこだわる必要すらなく、
ただ、明らかに物事を淡々と見るという姿勢が大事なんだなあと思います。
わたしもまだまだ、瞬間瞬間に思考がブワーっと浮かびあがり、
気づけば、「いまどこにもいない自分」によくなっています。

毎日、人間をやっていくのは疲れます。人生を生きるのもしんどいです。

そういう思考が現実を産む、とか云々カンヌンも、
はいそうですね、って感じで、いちいち気にしてたら気が狂ってしまいます。

どんな感情や思考であれ、自分の人生に現れるものを
明らかに見て、ごちゃごちゃ考えず、流していけるようにしたいです。

今日の瞑想も通勤電車。朝夕毎日。そんな環境に感謝✩

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2014年11月24日月曜日

絶望と真実

阿部さんのブログで人間の暗黒面を正直に書くという一日がありました。
500を超えるコメントの中にフルフィルメント歴3年、という方がいました。
その方は、青春時代に悲しい想いをされ、それを今でも抱えていると。。
そして3年瞑想を続けているけれど、ぜんぜん楽にならない、と。
ほかの方も瞑想を続けているけれど、苦しみは変わらない、と。

そこで今わたしが7ヶ月続けていることは、無意味なのか、と
一秒だけ絶望しましたが、次の瞬間には、気にならなくなりました。

それというのも、やはり、人間として人生を送る以上、
苦しみや痛みを逃げて通れるものじゃなくて、
これからそういうネガティブな感情の処理の対処の仕方を
見間違っていただけなのかもしれない、と気づき始めたからです。

ありのままに生きる
いまを生きる

という意味がようやく少し理解できるような気がしてきたところだったからです。

まだまだ分かっている、というつもりになろうとも思っていませんが、
これから一歩ずつ何かに気づいて、一日一日を乗り切る、
そういう地に足をつけた生き方をしてみようと思っています。

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2014年11月23日日曜日

悟りを見捨てる

一時、昨年の今くらいでしょうか。
「悟る」(見性・覚醒する)ことに躍起になっていました。

今はそんなことはどうでもいいです。
それよりも、人生を「いま」生きる、生き延びるほうが大事です。
ちゃんと生きたいのです。
まやかしの希望にすがることが本当になくなりました。
スピとか成功理論も、一種の痛み止めの麻酔だということも理解できました。

そんなことより、ちゃんと一瞬一瞬を大事に生きる方が大事だと
腹の底から腑に落ちることができるようになりました。

それが「禅」なのかもしれません。

「ちゃんと生きる」ということにすら、実はそんなにこだわっていません。
品行方正で正しい人として生きるつもりもありません。

ただただ、ありのままの自分を受け入れて楽に生きたいと思ってます。
瞑想はそれを助けてくれているっていうのが、今更ながら解るようになってきました。



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2014年11月22日土曜日

True Love


私はいつ死んだっていいと思って生きています。
どちらかというと、早く死にたいという思いを抱えて30年くらい生きてきました。
最初に「死」を意識したのは12歳の時だと思います。
中学生1年生の時、中学3年生の人を好きになり、その人が卒業して
居なくなってしまうくらいだったら、生きている意味がないなあ、と
ぼんやり考えていると3月に自分は死ぬんだ、と本気で信じたことがあります。
子供心によくわからない理由で死を覚悟し、友人からも離れ廃人のようになっていました。
結局、死にませんでしたが、それからも、恋愛をする度にその考えがよぎりました。
次は、音楽に傾倒しすぎていたころ、大好きなロックバンドの人が27歳で亡くなりました。
音楽世界を見ると、ほとんどの人が27歳で死んでいることがわかり、
音楽を志していた自分も27歳には死ぬのだろうと、ぼんやり本気で考えていました。
そして、その27歳の時、大失恋をして、自殺マニュアルまで読んで、
死ぬ方法を模索し続ける日が続きましたが、色々なタイミングが重なり、
それでもまた死ねませんでした。

ここで告白するのもなんですが、私の人生、一度も恋愛が成就したことがありません。
もちろん、お付き合いもしましたが、一番好きだった人と付き合えず、
仮に私を好いてくれる方とお付き合いしましたが、やはり本気になれず、
私がやっとその人を想いはじめたくらいに振られました。
そうして、そういう繰り返しで、一番好きな人とは付き合えず、
保険で付き合った人からも振られ続けている人生を繰り返してます。

つい最近もそのようなことがありました。
あまりにも恋愛が成就しない、保険の人にも振られる日々を
送っているので、一生恋愛はできない、という筋書きなのか、と絶望しています。
自我が話していることでしょうが、そのセオリーを続けているのも自分、
恋愛がうまくいかない人生を選んでいるのも自分、ということになります。
もちろん、そんなことは望んでいないのですが、深層心理を探れば、
そのセオリーをどこかで守っているのかもしれません。

もう恋愛に関しては、完全にお手上げ状態です。
それは、ある種、「チャンス到来」です。
ここから、私の恋愛も人生もどう変わるのか、もう、「天任せ」です。

正直、死にたい気分はずっと続いてます。
死にたい、というより、こういう気分を味わうのがうんざりで疲れたのです。

だから、最後の砦で、私は「フルフィルメント瞑想」に取り組んでいます。

昔は、死ぬ期限を決めていましたが、その気力すらもうないです。
なので、どこまで続けられるかわかりませんが、
このブログと同時に私の人生も変わることを祈らざるを得ません。


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2014年11月21日金曜日

特別意識

実は昔から、自分というものに対して「特別意識」を持っていました。
これは全ての人に当て嵌ることだと思いますが、自分は特別だ、と
どこかで信じている自我のなせる技らしいのですが。。

そういっただけでなく、どこかで「根拠のない自信」が私を支えていたのは、
昔から芸術関係に優れていて、絵や音楽、勉強も努力せずに、
かなりよく出来たほうだったのです。

そのぶん、身体が弱く、幼い頃からかなりしんどい辛い思いをしました。
そういった孤独感が、孤高感に置き換わり、自分は人とはかなり違う、
それもレベルを超えて違う、と感じて生きてきました。

そして成人して、いままでの人生では、それほど大成はしなかったものの、
普通の人よりは面白い経験がたくさんできたほうだと思います。

そんな自分の「特別意識」が完全に壊れることになったのは、
昨年4月のことです。
2010年から、3年間、私の人生においてかなりハードな苦しい時期を過ごしたのです。
そして身体が先に根を上げて壊れて、もう死ぬんじゃないか、というくらい
衰弱して、弱ってしまいました。
そのおかげで、仕事を辞め、自分の時間がたくさん増えてきたある日です。
それでもまだどこかで「特別意識」がありました。

自分が望む仕事のチャンスが来たので、面接を受けた後、
春の道を歩いていると、てんとう虫が私の前を横切りました。
ああ、これはグッドサイン✩だ、と直感しました。
そうやって自分の特別感をずっと感じていたのです。
ところが、グッドサインでもなんでもなく、
私は自分の望んでいた仕事に就けませんでした。

かなり落ち込みました。
仕事もなく、愛する人もなく、なんにもない自分がいました。
そこでスポっと一種、何かが抜けました。

ああ、わたし、普通の人なんだ、と。
それでいいんだ、と心から納得できたのです。

その後に、エックハルトトールのYoutubeに出会いました。
実は10年前に彼の本を読んでいましたが、その時はわからなかったことが
昨年は実感できるほど心から理解できたのです。

そこから、特別な私は消え、ただの私、になりました。
ただの人、ただの命、というふうに今ではまたかなり意識もシフトしましたが、
そこから、怒涛のごとく、自分の求める世界が開けていけた気がします。

昨夏には、雲黒斎さんから、阿部さんを知ることになります。
昨秋、阿部さんの講演会に初めて行き、フルフィルメント瞑想と出会います。
自分の筋書き通りでしょう。


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2014年11月20日木曜日

痛み

ここずっと9月末から苦しみ続けてきましたが、
やっと答えが向こうからやってきてくれました。
大好きな阿部さんのブログ「痛み」シリーズ3部作の最終章に「答え」がありました。
やっぱりね・・・・と、心から腑に落ちました。

瞑想しようが何しようが、痛みは消えないはずだわww

生きる、ということは「苦しみ」。
子供の頃から感じていたことは、ワンネスの正しい答えだったんです。

だから、安心して苦しみましょうwってことです。

今日も、プロスペリティ瞑想をする前に強烈な「怒り」がやってきました。
思い切り感じました。そしてそれに対する「戒め」も気づいて、止めました。
感じるままに感じたらいいと。

強烈な怒り、殺意まで起こりそうな怒り、腹立ち、憎しみ、
すべてOKなんです。

瞑想して終わったら、すっかりそのことも忘れましたが、
日々、一瞬一瞬に感じる全ては、「人生そのまま、ありのまま」です。

また、どこからか、怒りがやってきて、去っていく。
それの繰り返しです。
それと同様に、幸せや楽しさや喜びもやってきます。

どんな感情であれ、それは宇宙の中心からやってきます。
そのことが本当に実感できる一日となりました。¥



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2014年11月19日水曜日

高倉健さん

今朝は、人生は演技のようなものだ、と考えていました。
うまく演じ切れるかどうか、ドラマや映画と変わらないなと。
そして、著名な俳優を思い出していました。
「高倉健」さんです。

そして、お昼に、彼が亡くなったことを知りました。
もちろん、思い出していた朝には知らないことでした。

集合意識にコミットしたのか、そういうシンクロが起きだしました。

昨夜、阿部さん、向さんの「禅プロジェクト」2時限目を見終えて、
自分が「瞑想だけでは足りない」と思っていた部分を補える
「禅」という生き方、「今のありかた」「心を込めて生きること」
を今朝から感じてやりはじめていました。

ひとつひとつのことを「一期一会」だと感じ、どう振る舞い、
真剣に生きるか、それが人生を本当に生きることだと
教えていただきました。

真剣に生きていた代表のような「高倉健」さんのように
私も人生を日々大事にしたいと思います。

高倉健さんのご冥福をお祈りいたします。

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2014年11月18日火曜日

カフェインと瞑想


昨日も瞑想と悪習について書きましたが、珈琲などのカフェインについて。
嗜好品というより、ほぼ日常生活に欠かせない飲食物となっている珈琲。

それも実は、瞑想と関係していて、カフェインを摂取したあとは、
フルフィルメント瞑想は深く入れないそうです。
なので、伝授前は、お酒やカフェインを取らないように申し込みの時に言われます。

私自身も仕事をはじめ、最初は睡魔を紛らすために珈琲を摂取していましたが、
いつのまにやら、毎日飲まなくてはいられないくらい依存症になってます@

けれども、実は、珈琲自体、わたしの身体には合っていません。
昔はよくお腹を下したものでした、。
それでも、日常を乗り切るために、嗜好品に頼る日々、これも悪習かもしれません。

でもあまり気にしないようにもしています。
飲みたいから、飲む。癖になってるかもしれないけど、まあいいかと。
よっぽど嫌だったら飲まないだろうし、止めるときには止めるでしょう。

喫煙もそうですが、「それはダメだ」「いけないことだ」と
反省したり、自己嫌悪になるほど、思いつめるのをやめました。

女性なので、子供を産むためには喫煙はいけない、とか、
身体が弱いのに、そうやって身体を壊すようなことをしては駄目だ、とか、
そういう思考で、自分を追い詰めるのを完全に放棄してます。
気分次第でいいのではないかと、気楽に生きてます。

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2014年11月17日月曜日

瞑想は悪習を断ち切ることができる

「瞑想」をすることによって、悪習を断ち切るに有効だと言われています。

私自身、喫煙者です。もうかれこれ・・・20年以上、喫煙しています。
(計算すると未成年から吸っていたことになりますが;;)
何度か禁煙にチャレンジし、長くて半年くらいは喫煙しなかった時期もあります。
でも、なぜかまた喫煙者に戻る、という繰り返し。
10年前くらいにYOGAの先生から瞑想を勧めらたのも、喫煙の悪習を断ち切れるよ、
ということからでした。
私自身、元来、幼少時より虚弱体質で、今でもその傾向があるのですが、
なぜか、身体に悪いとわかっているものを愛好する性質のようですw
お酒も随分飲みました。(今はやめていますが)
お酒もタバコも実は全然身体に合っていません。
けれども、いろんなストレスや寂しさを紛らすために、
そういった嗜好品に頼っていたようです。いや、います、か。まだやってるし。

瞑想をはじめて7ヶ月ほどですが、まだ喫煙しています。
YOGAの先生は、2ヶ月~3ヶ月ほどで、吸いたくなくなるよ、と
言っていましたが、全然まだ吸ってますww
本当は止めればいろんな時間が有効に過ごせるかもな、とは思い始めています。

ほぼ儀式のように朝一番に吸う、会社に入る前に吸う、
お昼前に吸う、お昼を食べた後吸う、仕事が終わった吸う、
寝る前に吸う、みたいな完全なるルーティーンです。

瞑想によってそういう悪習が断ち切れる、というのは、
ほかの人からも聞いています。
なので、これからどう変化するのかまた楽しみです。

お酒は一旦やめて、また今年の夏くらいからストレスで飲み始めましたが、
9月にはもうやめました。
身体に合っていないのと、呑むと余計に気分が落ち込む、ということが
わかったからです。
来週末には、歓迎会で呑む予定ですが、多分ほぼ飲まない感じだと思います。
不必要な悪習がいろいろと断ち切れるようになればいいなと思っています。

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2014年11月16日日曜日

禅+瞑想

ここのところ 瞑想だけでは補えないかもしれない、という部分を
考えていたところ、必然的タイミングで大好きな阿部さんが新しいプロジェクトを
立ち上げてくださったので、また救われそうです。
これからは、瞑想 プラス+「禅」を実践したいと思います。

まだ1限目では、実践について深くは触れられていませんが、
これからの授業が楽しみです。

こんな新しい取り組みを無償で行われている阿部さんと向さんに
心から畏敬の念と、感謝の意を表したいと思います。

本当にこんな素晴らしい人たちもいるんだ、と思うと勇気が湧いてきます。

堅苦しくなく、直感のままに興味のある方は見てください。
それは絶対に人生を変える機会になります。

禅プロジェクト
http://thezen-academy.com/optin/

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2014年11月15日土曜日

ワンネス体験

ワンネス、見性体験、覚醒、悟り、いろいろな呼び名がありますが、
実は、私はそれを垣間見たことがあります。

これだけ文句を言いながらも実は実体験をかじっているのですw


10年以上前に、YOGAをやっていて、素晴らしいイスラエル人の先生から
「あなたは瞑想をしなさい。毎日10分でもいいから。全てはあなた次第だよ。」
と諭されたのもありますが、YOGAをやり始めていた時も何より瞑想の時間が好きでした。
なので、毎日10分間、夜寝る前に3ヶ月ほど続けていたことがあります。
真摯に「宇宙の真理が知りたい」という一心でやっていました。

ある日の夜でした。
私は瞑想をすると、身体がぐるぐる回る性質なのですが(今でもそうです)、
真っ暗な中で瞑想しているような半分眠っているような状態のとき、
かなり大きく身体がぐるぐる回り始めました。
「今日はよく身体が回るなあ|」となんの気なしにそのままにしていると、
急に体全体、全身を大きなエネルギーが貫きました。
あまりのエネルギーの強さに私の体は消えました。
エネルギーが貫くと同時にそれは、私と同化していたのです。
その頃は、なんの知識もなかったので、それはただただ恐怖でしかなく、
ものすごいことが自分に起こっている、ということだけを認識するくらいで
怖すぎたので、途中で瞑想を中断し、そのまま布団に潜り込んで寝ました。
もう少しそのままにしていたら、きっと「ワンネスの知識」も入っていたのでしょう。
ただ、体験だけをした私は、「あれはなんだったんだろう?」と
いう恐怖体験に似たような思いだけが残りました、。

「宇宙の真理が知りたい」それを身をもって体験できたのに、
残念ながら、できたのは、体感だけで、
なんの不安もない無の境地で、すべてはひとつ、で自分は守られている、
という認識はできませんでした。
もう少しあのままで続けていたら、きっとそれは理解できたことでしょう。

そしてこうやって10年後、その理解ができたときに
「あれは、紛れもないワンネスだった」ということがわかりました。

本当にもったいないことをしましたww

もう二度と同じ体験は出来ないということですので、
あの体験は一回きりだと思います。

あとは、完全なる宇宙の愛を身をもって理解できるところ、
だけが私の課題というか、残ったものです。

なので、こうして、私は「フルフィルメントマントラ瞑想」をしています。
それはそれで、「お楽しみを残しておいた」ということなのでしょうが、
宇宙さん、ちょっとかなり、ドSだなあと思います、。

それを描いたのは自分だったら、なおさら、私もドS&ドMですが@@

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2014年11月14日金曜日

怒りの対処法



大体、スピ系ブログでは、曖昧なポジティブワードを並べているので、
そんな綺麗事だけでは、人生は進んでいかないので、
この記録では、赤裸々なブログをしていこうと思ってます。

フルフィルメントマントラ瞑想の証拠探しをしていた頃、
上級マントラをもっておられるという方のブログを発見しました。

その方は、「怒り」のパワーが溜まると、外へ発散するために
家族と離れて、屋外の倉庫で暴れまわって叫びまくる、ということを
なさっていたようです。

いくらマントラ瞑想してようが、人間として生きている以上は
「感情」というものに振り回されます。
もちろん、長く続くものではないでしょうが、そうやって発散している、
という事実を語られていたので、かなり新鮮でした。

阿部さんも「ジベリッシュ瞑想」というOSHO印の瞑想を推奨されていました。
「怒り」が湧いたとき、どうやって対処するか、人それぞれだと思いますが、
人の迷惑にならない程度に「発散」するのは、とても大事だと思います。

私も時折、家を締め切って叫んでみたり、泣いてみたりしてます。

思い込みにとらわれて、「変化」を待ち望みすぎるのは無意味なことだと
思いますが、それでもまあ人間やってる限り、いくらでも感情は湧きます。
それを否定せずにそのままありのままでいる、ということも大事かな、
と、ここのところ、「気づき」だしました。

怒りが湧いたら、怒って怒って怒りたおしてもいい!それでスッキリするのなら!


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