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2015年5月26日火曜日

思考と「わたし」意識




瞑想は毎日やってます。
電車の中で爆睡状態でね。座りながらしてますが
降りる駅を乗り過ごしたことはほとんどありません。
(あるんかいっ)
なんだか、降りる駅で降りられるのも完全に寝入ってないからなんでしょうね。

最近、「わたしはいない」が流行ってますがw、
瞑想で思考が減ると、自意識が低くなりますね。
自分の不必要に湧き出る思考、感情というのを感じる時間がないと
なんだか自分(意識)が消えていくような良い感じです。

今日、体調がひどく悪くなり、
ものすごい痛みに数時間見舞われました。

「苦しみ」と「痛み」は違うものらしいですが、
痛みにつきまとう思考や感情が「苦しみ」とするならば、
この痛みは、ただ起こっているだけ、と割り切れますが
痛みがとまらないのは、本当に辛いものがあります。

起こっているだけ、、ただ起こっているだけ。。。
と、自分という個体が感じてないようにしてみたりとか、
無駄な抵抗をしつつ、、、、思考は湧いていないけど、
い、、いたいもんはいたい・・・・
感じる肉体的なものが凄すぎる・・・

こういう時に、「空」の中にずっといる人は
どういう感じなんだろうなあ、と大和田さんに興味があります。

痛みまくる「わたし」は実際いないなら、どんな感じなんだろう?と。
もちろん、「痛み」が現象だとわかっているので、
そこに思考が入る余地はあまりありません。
完全に痛みの中で痛みだけを強烈に感じ続けます。
そこでわたしは可哀想だ、とか思考がわく余裕もありません。

もし、解放されている方で、
幻想だとはっきりわかりながら、「痛み」とどう向き合えるのかが
知りたいです。

もちろん、病院へ行く、痛み止めを呑む、という当たり前のことを超えて
自分ができる対処を超える意味で、「わたしはいない」なら、
もっと楽に痛みが過ぎるのを待てるのだろうかと。

あと、わたしは、いままで 
精神的にも辛い思いはたくさん経験してきましたが
肉体的に、辛い、痛い、苦しい経験が幼少よりあります。


精神的に地獄を知った人がよく悟りの境地へ至る話は聞きますが
肉体的に地獄を知っている人の悟りの話は聞きません。

肉体的な辛さも相当なもんなのに、、変な傾向だなw
 
クリックありがとうございます。 

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