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2015年2月27日金曜日

無理しない


精神世界やスピなどでは
一貫していない「真理」が説かれていますが、

結局は「自分がどう感じるか」
がすべてだと思います。

信頼する人が言っていることだから
尊敬すべき人が言っていることだから
と、完全に鵜呑みにするのではなく
そんな人たちが「あれ?」って言うことを言うときに
自分がそれに同調するかしないかを見極める術といおうか。

結局、わたしたち人間は生身の生き物です。
「空」でも「完全」でもありえません。

だから、そのときそのときで、
人の意見を受け入れる、アホみたいに盲信する姿勢は
持たなくてもいいと思っています。

「信じている人に沿った行動だけど、なんだか気乗りしないからしなくていいや:」
で、終わってもいいと思うのです。

「自分なんていない」と思い込むのもいらない、と思います。
生身で生きる以上、「自分」はいます。
だから、その「自分」が嫌がったら、それを無視せず、
「その自分の感じるまま」を生きたらいいと思います。

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2015年2月26日木曜日

理屈っぽさ


阿部さんのAMAZONの本「死の瞬間」を予約したとき、
賢者テラさんの本の新刊を発見しました。

前に雲黒斎さん経由で彼のブログを読んだのですが
理屈っぽくて、どうにも肌に合わなかったのですが、
いま、読むと、かなり読めますww
やはりすべての物事は、タイミングってものがあるんでしょうね。
http://ameblo.jp/eyeofgod/

彼のブログを読めるようになりました。
そして、彼の論理的思考に共感しまくりです。

わたしも実は、論理的思考に引っ張られがちです。
雲黒斎さんから、阿部さんブログへ行き着いたのですが、
素直に、スっと入ってくるのが阿部さんのブログでした。
さとうみつろうさんのブログも素直ですね。

タイミングによって、理屈っぽいのが好きなときがあります。
雲黒斎さんも理屈っぽくて、最初のとっかかりには入りやすかったのです。
テラさんの理屈っぽさも、わたしが持ち合わせてる部分なので
いまとなっては、かなりシンクロします。

テラさんと雲黒斎さんコラボの公演会に見向きもしなかったのですが、
いつか行ってみたいと思います。


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2015年2月25日水曜日

ときめき

春だからでしょうか

なんだか 異性が気になります

すぐに好きになってしまうくらいww

人間も生身の「動物:」です

わたしたちは 大きな波動のなかの
小さな(大きな) 欲望の中で生きています

それに身を任せることもいいのではないでしょうか

恋せよ乙女
恋せよ男子

それは 生きる「糧」となります

楽しみましょう

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2015年2月24日火曜日

春の足音


昨日は日本列島 あったかい空気に包まれましたね
確実に春がやってきています
(花粉もやってきていますww)


厳しい寒さを越えて 春を迎える喜び

これは人生すべてに当てはまる比喩のようなものだと思います

みんな春を待っている
日本人が「桜」をこよなく愛すのもそういうことかしら


「すべては明るく良くなる」(春が来る)
その希望が
生きる糧となるなら
そんな夢をみることもいいのではないでしょうか

わたしたちは 平凡な当たり前の日常を
少しでも彩りのあるものを求めて生きています

「苦しいこともいつか報われるんだ」
そんな希望を持つことの何が悪いんでしょうか

人間として人生を生きる上で
わたしが必要なものは リアリティだけではないはずです

明るい希望!!いいじゃないですか!!ww

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2015年2月22日日曜日

楽観主義者=悲観主義者



大体 一般的に 人間関係において
人は最悪の状況まで考える

また奪われる
また利用される
私ばかりバカをみる
しんどい思いをするんだろうけど
わたしが我慢すればいいか、、

そういう思いで諦めの境地

で 実際会ってみたりすると
完全に自分の予想は外れたりもする

あれ?身構えてたのに・・・
自分を守るためには
絶対攻撃してやろうと思ってたのに
肩透かし食らって面食らう

あまりにも悪い想像をしすぎて
良い想像をすることを忘れていた

案外 相手も同じ心境でいたんだ

自分の考え 想像なんて
ほとんどの場合 逆に真逆なんだなと 思った

楽観主義者=悲観主義者

人生は楽勝だと思えたら
主義はいつでもひっくり返れる




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2015年2月21日土曜日

Belief

信頼

人生生きることすべてにおいて
「信頼」がどれだけ 大切なことか身にしみて感じています。

昨年10月、わたしは天河弁財天で願をかけました。

そして、すぐにそれは、鳥の声となって
確かな返事を受けました。

わたしは、「(天(神)が)応えて答えてくれた」と
その瞬間感じました。

時間差があるとはいえ、わたしはその時間をジリジリした思いで
待っています。

そしてどれだけ「天(宇宙)を信じられるか」
試されているような気持ちにもなりつつ
わたしは自分の人生を信じられるように
信心を失わずにいたいです。

瞑想をするのも、「信心」を取り戻すため。
昔は信じられていたことを簡単に信じられなくなったような
歪んだような自我をなんとかなだめすかすため。

瞑想も応えてくれると信じています。

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2015年2月20日金曜日

退屈と平和


昔、ガムの中に蝶々柄が時折入っている
ラッキーガムがありました。
こんな小さなことですら、「ラッキー✩幸せ!」と
思っていたころが懐かしいです。

「平和=退屈」は同義語だと聴いたことがありますが、
実際ほんとうにそうかもしれません。

なにもないから、心も痛まないし苦しくもない。
けど、退屈。。。。

だから、人間、この次元で人間は
いろいろと、心悩ますものをたくさん作ったのかもしれませんね。

淡々と過ぎる日々が続いていますが、
平和といえば、平和ですが、退屈で淋しいくらいです。。。

瞑想を続けていると、こんな感じなんでしょうか。、、

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2015年2月19日木曜日

fragile


心は壊れやすいもの

詩的な表現や歌なんかだとそうだろうし、そうだった。
1年前くらいまではそういうものだと思っていました。

けど、実際何度も痛い目みても、壊れないね~ww

わたしたちの本質はなにがあっても実際「無傷」、
というか、完全に大丈夫らしいです。

わたしは、まだその境地を肌で理解できていません。
見性の触り、だけ体験したもんだから、中途半端なんです。
でも 体験している人生の中では
結局大丈夫なんだろうな、と感じてはいます。

わたしは、見性や覚醒で
ものすごい体験をしたいわけでもなんでもなく、

ただ、「人生は絶対的に大丈夫なんだ」って
いうことをわかりたいがために、
毎日瞑想をしているわけです。

少しずつ理解していく過程もあるそうですが
一気に体験して一気に「楽」になりたい、と
思ってなりません。



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2015年2月18日水曜日

香り


禅にも通じることですが
瞑想でも五感を使い尽くす。

もちろん、リラックスするので何もする必要はないのですが、
瞑想に集中しようとすると失敗するので
身体の感覚を研ぎ澄ます方法があります。

また思考を納める効果もあります。

今日気づいたのは嗅覚を使うこと。
「香り」
冬は香りがたちにくいのですが、
今日は「雨の香り」を感じました。

雨の香りに集中していると思考も収まってきます。

わたしは食いしん坊なので、食べ物の香りにはかなり敏感なのですが、
美味しい食べ物の香りを嗅ぐと、逆に思考が沸き立つので
(あれ食べよう、これ食べよう、はやく食べたい等々)
注意ですww

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2015年2月17日火曜日

ビジュアライジング

マントラ瞑想には、

まず「マントラ」=言葉
「ヤントラ」=図形

といった、導入部分があります。

それと平行して、蓮の花もよく導入で使われます。

マントラの種類によって、蓮の花の色等も違いますが、
これが、なかなか難しい。
こうやって、蓮の写真を見たりして、記憶に残そうとするのですが、
いざ、マントラ瞑想をする段になると
これまたなかなか図形として浮かばないというか、
逆にそのイメージが自由に動いていってしまうんです。
もちろん、それはそれでいいのですが、
(ヤントラですら軽いイメージでいいのですから)
几帳面な性格ゆえかw、映像化にこだわっているのか、、
「白い蓮、白い蓮、白い蓮、、白い蓮!」って
どうしてもイメージ強くしたく思ってしまいます。
なんででしょうね。
瞑想を始める段階で、多分もう何かが動いているのでしょう。
だからそのまま自然にしたいのですが、
記憶分解くらいにその画像が浮かばない時は焦りますww
というお話でした。合掌@@


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2015年2月16日月曜日

ターシャテューダー



冬になると(とりわけクリスマス前)
ターシャテューダーのほのぼのとした映像を見たくなります。
可愛いおばあちゃんの生活の様子に心が温まるんです。
厳冬の中、自然に沿って心豊かに生きておられた様は
まるで「おとぎ話」がそのまま現実になったかのように見えました。

クリスマスなど、ひとつひとつの行事を大事に楽しく
心豊かに過ごす姿などを見ると 心穏やかな気持ちになれます。

彼女は名言をよく残しておられるのですが、
今日はコーギーコテージのクリスマスからの彼女の一言。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
心安らぐ時間は あなたにもすでに与えられている
今 この瞬間に潜む その安らぎを手にしなさい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クリスマスの良さは期待することにあると思う
それは現実以上の楽しみを与えてくれる
そういうものよ
いいことが起こると思えば
落ち込まないし 現実がなお楽しくなる
長い人生のいろんな場面で
何度も体験したことよ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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2015年2月15日日曜日

SIMPLE



赤裸々に行きますが、実際、今のところ、
瞑想後、わたしの人生、生活は「淡々」としています。

浮き沈みもなく「淡々」と過ぎていく、という感じです。

それが良いのか悪いのか、それを判断するのは、
結局は、小さな小さなわたしの自我、脳味噌、
ではない、ということがはっきりとわかっている以上、
全ては、無味乾燥したものとなります。

結局、
このわたしが悲しもうが苦しもうが、なんの関係もない・。
だから、もう諦め、絶望の境地がひしひしと押し寄せています。

その上で、いま、感じていることも、
どれだけ大事なのか、ということも理解して、感じきっています。

いま、感じていること、それは悪いものでも良いものでも
なんでもない、ただ、起こっている、感じているだけ。、、、、

虚無感に包まれながらも、平和な気持ちも味わっています。


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2015年2月14日土曜日

Be my Valentine


(*´v`)σ*バレンタインデー♥(´v`*)ですね。

義理チョコや友チョコなど
正直お菓子業界に踊らされている感満載の日本国内ですが、
それもいいんではないでしょうか。
自分へのご褒美チョコもあるらしいです。

わたしはいつもの感謝で父と友人にプレゼントするくらいです。

海外では、男女問わず愛を贈り合う日らしいです。
日本もそうなるといいなあ。
なんで、女性だけ頑張らないといけないんだ。

男性が女性に花を贈る日が特別な日になればいいのに。
と、女性ばかり告白する日を作るなら、
男性にも作るべきだ、いや、やってもらうべきだ、
日本国内の男気のない男性陣に言いたいですwww

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2015年2月13日金曜日

女性ならでは


2月病かインフルエンザか寒さが続く低気圧のせいか
バイオリズムの波で心身ともに、ここ数日苦しみましたが
単なる女性ならではのものだったみたいです。

やっぱり動物ですね、人間も!
っていうところに落ち着きましたが、
本当に女性をやるって、外も中も大変です。
身体も心もクルクル振り回される。

でもそれもあるがまま受け入れて
すべてOKなんだ、と思えるようになりたいです。

阿部さんの昨日のブログでも、
「今目の前に起こること、すべてWelcome!」って
向和尚さんも言ってらっしゃったと書かれていました。

あとみつろうさんのブログにも
「無いもの」に目を向けず
「有るもの」に目を向けて
心豊かにしようというタイムリーなストーリーがアップされていました。

ネット社会が始まってから
わたしは、遠くに住んでいる方々にどれだけ励まされてきたことか。
ブログのお話で、本当に助けてもらったことが何度もあります。
そう考えると、ネット社会って素晴らしいですね。
上辺だけの仮想世界、だなんて、簡単に言えない世界です。
可能性を広げ続けられる素晴らしいツールだと私は思います。

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2015年2月12日木曜日

2月病?



先日、マントラ全部制覇したら、5月病になったらどうしよう?
とか言ってましたが、
なんだか今すでに2月病、というか・・・・
それほど大きな変化がないからでしょうか。

昨年4月に初めてマントラ伝授を受けてから、
大きな変動は昨年春~秋にかけてありました。
それはそれは、幸せと苦痛とが一緒くたになったような
後でドカンといっぱい失うことになりました。

そのあとは、大きな穴が開いた感じが続いています。
絶望を超えて、空虚というか、、
もちろん、なにも感じないというわけではありません。

いろいろ思考がジタバタしなくなったとはいえ、
なんだか感情がフラットになりすぎているような・・・
行き過ぎるとそれはただの「鬱」ですから。

やはり現実世界を作っているのがわたしなら
少しでも明るい考えで満たしたいのですが
瞑想をしても元気がないときは元気がないですね。
考えることも暗い考えばかり。。。。
どうせなにやったって、、、っていうヤケクソな気持ち、
青春時代から慣れ親しんだ堂々巡りの考えに囚われます。

生身の人間ですから、バイオリズムが上昇するまで
今しばらく、、、我慢して耐えます。

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2015年2月11日水曜日

あくびと涙のセット


いつか先日に、プロスペリティマントラをはじめてから
代謝の時間のあくびに、「大量の涙」がついてくるようになりました。
あくびの回数が格段に増えたせいもありますが、涙がとにかく出ます。

それは、新しいマントラ伝授後(ウィズダム)も続いています。
あまりにも涙が出るので、メイクが崩れるのが気になります。
メイクといっても、私が唯一やっているメイクがマスカラなんで、
(ファンデーションもしませんから)、そこだけ、なんですが@@
ウォータープルーフ仕様なんで、それほど崩れませんが、
やはり、ほかの人の目が気になります。
(って、通勤電車内で瞑想習慣してるからなんですが)

うーんと、、ウィズダムマントラ1ヶ月の感想、、
いまのところ、なんだか、頭が冴えてる気がしますww

完全に「ウィズダム」っていう言葉にヤラレているだけなんですが、
仕事上においても、いろいろなことにおいても、
頭が切れて切れて切れまくり!!wwwみたいな感じになってます。
それが、いまのところの感想です。

本当のことを言えば、プロスペリティマントラで失ったもの、
失ったように見えるもの、すべてを取り戻せる、ような
希望をもっていたので、ちょっと違う反応ですが、
これも、これ、、、まあ受け入れます、・。。
なんとかすべてが「うまくいく気がします」・。・・


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2015年2月10日火曜日

ウィズダム瞑想約1ヶ月目



ウィズダムマントラ伝授後、約1ヶ月経ちました。
伝授後ずっと、ウィズダムだけをやってきました。
本当は、2週間だけでいいのですが、
前のプロスペリティマントラは3ヶ月ぶっ通しに続けたので、
その余韻でもありますが、あまり大きな波動を感じていません。
微細な波動だ、と智子先生も言っておられましたが、
まさにそんな感じです。

一番好きなマントラ、一番最初に受けたせいもありますが、
やはり「ロータスマントラ」が最高に気持ちよくて大きな波動を感じました。
最初の衝撃を忘れらないのは、人生全てにおいて、でしょうか。

ハートマントラも続いて大きな波動でした。
というか、しんどいマントラでした。
ほんとうは、ハートマントラが一番気持ちが良いのだとか。
だから、これからちょっと苦手だったハートマントラも
頑張ってみたいと思います。

プロスペリティも大きな大きな変化をもたらしたので、
わたしにとっては、忘れがたい苦しい時期を乗り越えさせてくれた
有難いマントラです。

マントラ伝授、あとひとつを残すのみ。。。
1年以内に全部伝授を受ける、という意気込みでしたが、
今となっては、なんだかあとひとつだけか、
と淋しいような物足りないような複雑な気分。。

これからどうなるのでしょう。
実際、5つすべてのマントラ伝授後、
5月病みたいにならないか、心配ですwww


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2015年2月9日月曜日

寒い時期の瞑想



寒い時期の瞑想は厳しいです。
それもこちらは底冷えの地、京都で暮らしているので、
冬の厳しさが本当に堪えます。
瞑想する環境があるかと思いますが、エアコンがある日本でも、
やはり、冬の瞑想は厳しいです。
リラックスする前に、寒さで身が縮こまってますから。
寒いからあったかい場所を用意をするのが大変です。

わたしの持論ですが、やはり、南国が瞑想に向いている地ではないかとww
インドしかり、ですが、ボブフィックスさんもタイで本拠地に置いてるのもそこかと。
瞑想をモスクワで本拠地で開いているところはないのでしょうか。

南国の日陰などで、ゆっくり瞑想する、それがベストなんではないかと、
わたしは思います。

ああ、南国で永住したい。私が唯一、心がほぐれる場所は沖縄です。
ほんとうは、沖縄で永住できるなら、したいです。
仕事もあるなら、すぐに引越したい。
ただ、南国特有の大きな虫が苦手ですw。。


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2015年2月8日日曜日

大爆笑!



無料レイディオ✩是非聞いてみてください。
http://toshiro.socialcast.jp/con/5

大爆笑ですwww
人間(人生)の真髄を話されています。
いままでこんなに正直な話をされる人が居たでしょうかww
わたしは、偉大な覚者と呼ばれるOSHOやその他多くの人より、
阿部さんを尊敬し、好きで信用するのはこういう正直で最高に面白いところです@@
ずっとついていこうと思いますwwww
本当に大好きな素晴らしい人です。
わたしよりも長生きしてほしい。


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2015年2月7日土曜日

希望(転記)



下記転記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
希望というものはおかしなものです。
一部 の人は「希望を感じるためには論理的な理由がなければならない」と主張しています。
しかし、希望は感情です。
感情はつじつまが合わないことが普通なのであ り、
その本質を変えることはできません。
希望を抱くことを自分に許すか、それ を抑えるか、
選択肢は二つに一つなのです。
あなたが希望を抑圧しなけ ればならない理由は何一つありません
(というか、それはあなたに限らず、どの人にも当てはまることです)。
たとえそんな理由があったとしても、多くの「希望を感じる理由」が
具体的な形で見 つかるようになるでしょう。 


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2015年2月6日金曜日

生きるということ


瞑想ブログなんですが、結局は「人生ブログ」なんです。

瞑想で心落ち着かせ、しばし、娑婆の世界を忘れる、
なんて、スピ的な甘いものはわたしは元より嫌いです。
つかみどころのないスピメッセージを発信する人も嫌いです。

わたしたちは、いくら「見性」「悟り」「覚醒」しようが、
生身の人間のままなんです。

瞑想は大事です。それは当たり前。

でも、、それだけでは、、浮世を渡れません。
わたしも、一生、瞑想だけをしている人生ができることなら
そうしたいです、。(実際できるのかもしれないけど飽きるでしょう)

なんやかんや、人は生活というものを、
「人間臭く」やるものなんではないでしょうか。

人の思考の98%は、ネガティブな方向へいく、
それをわかった上で、踏まえた上で、
わたしは、「瞑想」を選びました。

人間の思考は、ほぼ、「悪い方向を考える」=だから、「悪いことが起こる」
みんなそれが当たり前なんだ、と人生を生きています。
もちろん、今の私もそのひとりです、。。

憎しみや悲しみや苦しさが渦巻いています。

だからこそ、わたしたちは、
それを感じ続け、味わい抜いた上で、、、
瞑想しましょう。。

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2015年2月5日木曜日

低気圧かISISか



冬将軍が日本に居座り寒い日が続いています。
そのせいでしょうか、気分があまり高揚しません。

日照時間が生身のわたしたち人間の
生体リズムと精神面に関係しているようです。

それだけではありません。
ISIS事件からずっと気分が落ち込んでいます。
実際会った人が残酷な殺し方をされたことが
どうやら、私の心に重くのしかかっているようです。
実際会ったことがない人でなければ、
これほど苦しまなくてすんだのかもしれません。
でもこれも学びだと思うしかありません。

戦争や信じられない凄惨な事件など、
わたしたちの日常には無関係だと思っています。
いつもどこかで起こっているだろうが、関係ない、と。。

それがこんなに身近に起こることなんだ、と。。

後藤さんのご冥福を祈ります。
あまりにも気になって、残酷な遺体の写真も閲覧してしまいました。
そして、ヨルダンの飛行士の焼殺映像全編も観ました。
(アメリカのFOXが ネット上で、閲覧可能にされました、
これも賛否両論あるでしょうが、私は悪いとも良いとも思いません)
ヨルダン人のパイロットの方の凄まじい死には、、、
残酷だけ、とは言えない何かがありました。。。

本当は見たくないもの、、、
平和ボケしている日本人が見るべきものかもしれません。
だけど、実際に起きたこと、人間が起こした罪を、
実際、目に見ると聞くとでは、全然違います。
苦しいですが、それを踏まえて、
報復する、ではなしに、平和を願います。
心の平和がすべてです。


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2015年2月4日水曜日

forgive me



ほどなくして気づいた

わたしは何時ごろからかわからないけど
サバイバルゲームとしての現実社会になじむために
ほんとうの自分を消し去る術を日常化してしまった

人に嫌われないように
人に変な風に思われないように 
イカレてると思われないために

生活するためには「一般化された普通でいなければならない」
必死に自分を押し殺し
ほんとうの自分の思いや感情すら忘れてしまっていた

そして一見、親しいと思われる人たち、血族ですら
わたしはその人たちのために
自分の身や心を削ることが最善だと勝手に思い込み
ほんとうの自分の気持ちを消す術を使い続けた
その人たちの意図に沿うように行動し続けた
自分が苦しいとかすら思わなかった
それが自分の幸せだとすら思っていた

そしてわたしというものがなくなった

自己は「悟り」の世界では不必要なものだ
自我があるから人間は苦しむ

自我があるうちは幸せにはなれない
その真理は痛いほどよくわかる
自我が自分を守ろうとしているうちは
苦しみなど消えやしないのだ

でも意図して
自我を消し続けていた人生だったとしたら?>?

結局 生身の肉体を持った生き物として生きる以上
人間として在り続けなければならない以上

自我がどれだけ必要なものがようやくわかった

わたしは自分がほんとうに好きなものに
自分を溺れさせてもいいのだ
人であれ 物であれ すべてにおいて
自分のすべてを捧げて生きたい

後先なんかどうでもいいのだ

これをしたら どんどん人が遠ざかっていくだろう
自分を理解されることは永遠にないだろう
そんなことすら どうでもよくなるだろう

自分の思いのままに
ようやくその地点に立てた気がする

「どう思われたっていいよ」
それがスタート地点




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2015年2月2日月曜日

Deepak

Deepakchopra

自分の中心にとどまると、
今この瞬間に生きることができます。
注意を向けると、その瞬間に完全に向き合うことが可能になります。
そして、第三の「焦点を保つ」スキルまで来たわけです。
何らかの目標、結果、問題解決など、
何かが起きてほしいと強く望むとき、
自然にそうした対象に
焦点を合わせ続ける状態になります。
しかし意識自体が、
結果をもたらすパワーを持っているのでしょうか?
言い換えれば、
何かを達成するために必要となる作業を脇に置いたまま
もっと意識的になることによって、
より迅速で簡単な達成方法をみつけることができるでしょうか?
それを見出すためには、「明確な意図」として知られる
異なる種類の焦点を用いなくてはなりません。
明確な意図とは、曖昧さや困惑を伴わずに、
自分が何を望んでいるのかを知っていることです。
あなたの身体は、混乱した意図ではなく、明確な意図のほうに従います。

躊躇したり、複雑な感情を抱いたりするたびに
あなたの意図はもう明確ではなくなります。
勝とうという情熱をもってマラソンをするのと、
途中で倒れる心配をしながらマラソンをする違いのように、
ほんのわずかであっても、
矛盾したメッセ―ジは脳を混乱させるのです。
例えばもしあなたがオムレツの作り方を知っているなら、
作り始めから出来上がりまで、おそらく2分もかからないでしょう。
しかし2分という時間制限をもうけ、
せかされた状態で同じことをしてみてください。
簡単な手順でさえしくじったり、少なくともあなたのマインドは
「オムレツを作ること」と「時計に目をやること」の間でゆらぐでしょう。
矛盾した動機という問題は、大きなストレスを招きます。
自分が相反する感情を抱き、優柔不断であり、
意思決定において支持を得られない状況で
人生における決断を下すことがいかに困難であるか、
ということについて考えてみてください。

これらの要素は、あなただけでなく、状況全体にも影響を及ぼします。
不信、競争、隠された思惑がある中で
下さなくてはならない決断は、さらに悪いものになります。
混沌とした動機を持つ人々で構成されるグループは、
いかなる目標にもスムーズに到達することはありません。
そして悪い結果が生じて、
第三者が「彼らは何を考えていたのか?」と尋ねれば
その答えはたいてい
「彼らは同時にあまりに多くのことを考えていた」なのです。
焦点が定められた意図には
常に不可思議なパワーが与えられてきました。
祈りという行為について考えてみてください。
人は、さまざまな異なる状況のもとで、祈りを捧げます。
ある者は、心が動揺し、非常に打ちひしがれた状態で、
またある者は、心を静かに神に向け、
非常に穏やかで平和な状態で祈ります。
成功、救い、贖罪、許し、癒しを求める祈りもありますし、
あなたが10歳の頃は、新しい自転車がほしいと祈ったこともあるでしょう。

人は、祈りに際して取引をします。
「神様、もし私の願いを叶えてくれるなら、
私は良い人になると約束します」というのは、よくある決まり文句です。
実際のところ、祈りが聞き届けられる人もいますが、
祈りかなわず、はかりしれぬ困惑と失望に陥る人もたくさんいます。
しかし、意識という観点においては
もしあなたの意図が明確でないなら、
祈りは聞き届けられないでしょう。

人生のさまざまな場面において、
意図が不明確になってしまうのは、以下のような場合です。
□自分が何を望んでいるのかよくわかっていない場合

□望むものに自分はふさわしくないと思っている場合

□どのような結果になるか懐疑的な場合

□矛盾した動機をもっている場合

□内なる葛藤を経験している場合
「祈り」は議論を呼び起こすテーマです。
そして私は、祈りが実際に効力をもつか否かについて
結論を出しているわけではありません。
真の自己との明確な関係を持つことができれば、
祈りは(もしくはいかなる明確な意図も)
実現すると、私は個人的には信じています。
しかし、あなたが混乱したメッセージを送ると、
コミュニケーションのラインは切断されてしまいます。
明確な焦点が定まり、
そしてあなた自身も焦点を定めるとき、
気づきのパワーが活性化されるのです。

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2015年2月1日日曜日

Happening



阿部さんの「降伏のすすめ」を再度読んでいました。
いま、良いな、と思った部分を抜粋します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハプニングが起こると「それに反応する感情」が出てくる
何かに反応して出てくる感情っていうのは、
たいてい「自我」にとって「都合が悪いこと」なんだよ。
自我自身が「感じたくない」って隠しちゃったものだから
自分ではなかなか掘り起こせない。
だからこそ、ハプニングっていうのは、
その未完了の感情の存在に気づかせてくれる
大切なきっかけになるんだよね。
そういうハプニングが訪れることを願う。
そしてそのチャンスを逃さずに、自分に溜まっていた感情に気づいて
どんどん感じて解放していく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それが結局「さとり」=楽になるってことの近道らしいです。

クリックありがとうございます。