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2019年5月16日木曜日

固定した自分が消えている








クリックありがとうございます。 


いろんなストーリー、筋書きが


ひとの数だけあると思われるけれど




原点回帰




一瞬でパンっと飛ぶひともいれば


それが徐々に段階を追って自然にそうなっていくひともいる




もちろん 子供のころはそれが自然に気づいていたこと




成長していく過程や環境で 山盛りになったマインド


どうすれば「得」をするか


どうすれば「損」をしないか




損得勘定なしに「動けていた」子供のころ




汚いもの
綺麗なもの


なんのへだたりもなく同じ位置にあったはず






わたしたちの脳で知覚されることなんて


本当はただの化学物質と記憶の産物だということ








思考がとまった


うるさいざわめきが消えてもう5日もたつ


またあの不快な思考がくるのだろうという恐れすらない


というか、もう同じ不快は来ないだろう




飛び越えた


思考がとまり 感覚だけが残っている


そこに良い悪いもない




その意味がようやくわかった




「わたしはいない」という言葉が流行っていたころ


その言葉が拙い言葉なんだ、なと今は思う




「わたしはいない」ではなく


「わたしを知覚する思考がとまった」


という方が


もう少し 理解しやすいと思う




そしてそして思考がわいてくるけれども


「その思考は自分のエネルギーではない」


という見解のほうが


もっと理解しやすいと思う




もっとも、これは一般への理解


集合意識への理解に向けた








アセンションというのは こういうエネルギー変化のことか


と 体感している




さ、映画でもみて人間の体験の面白さを体感しようっと














クリックありがとうございます。 

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