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2014年11月3日月曜日

覚醒や見性

今夏までは、「見性したい」「空を体感したい」「覚醒したら人生が変わる」と、
本当に「悟り」と呼ばれるものを熱望しておりました。

けれども夏を過ぎてからは、そこにこだわることがなくなりました。
本当は悟っていたほうが、覚醒していたほうが良いのかもしれないけど、
そこを求めることと、人生が良くなればいい=楽に生きられればいい事とは、
実は同じではないのかもしれない、と気づいたのです。
その「見性・覚醒・悟り」に対する執着が消えたっていうのが実際のところです。
だから、今は気楽にまあ悟れればいいことはいいけど、そこにこだわらない、という
以前にも書いたような「こだわりがなくなる状態」になっています。
見性(覚醒)してないから駄目だ、とは思わなくなった、とうことです。

全てを手放す=サレンダーこそが幸せの近道らしいですが、
私にはまだ手放していないエゴがあるとは思ってます。
だから、まだ苦しい時は苦しい。
それも含めて、私の中に入ってくる「気分や感情」を受け流します。

クリックありがとうございます。 

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