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2014年11月22日土曜日

True Love


私はいつ死んだっていいと思って生きています。
どちらかというと、早く死にたいという思いを抱えて30年くらい生きてきました。
最初に「死」を意識したのは12歳の時だと思います。
中学生1年生の時、中学3年生の人を好きになり、その人が卒業して
居なくなってしまうくらいだったら、生きている意味がないなあ、と
ぼんやり考えていると3月に自分は死ぬんだ、と本気で信じたことがあります。
子供心によくわからない理由で死を覚悟し、友人からも離れ廃人のようになっていました。
結局、死にませんでしたが、それからも、恋愛をする度にその考えがよぎりました。
次は、音楽に傾倒しすぎていたころ、大好きなロックバンドの人が27歳で亡くなりました。
音楽世界を見ると、ほとんどの人が27歳で死んでいることがわかり、
音楽を志していた自分も27歳には死ぬのだろうと、ぼんやり本気で考えていました。
そして、その27歳の時、大失恋をして、自殺マニュアルまで読んで、
死ぬ方法を模索し続ける日が続きましたが、色々なタイミングが重なり、
それでもまた死ねませんでした。

ここで告白するのもなんですが、私の人生、一度も恋愛が成就したことがありません。
もちろん、お付き合いもしましたが、一番好きだった人と付き合えず、
仮に私を好いてくれる方とお付き合いしましたが、やはり本気になれず、
私がやっとその人を想いはじめたくらいに振られました。
そうして、そういう繰り返しで、一番好きな人とは付き合えず、
保険で付き合った人からも振られ続けている人生を繰り返してます。

つい最近もそのようなことがありました。
あまりにも恋愛が成就しない、保険の人にも振られる日々を
送っているので、一生恋愛はできない、という筋書きなのか、と絶望しています。
自我が話していることでしょうが、そのセオリーを続けているのも自分、
恋愛がうまくいかない人生を選んでいるのも自分、ということになります。
もちろん、そんなことは望んでいないのですが、深層心理を探れば、
そのセオリーをどこかで守っているのかもしれません。

もう恋愛に関しては、完全にお手上げ状態です。
それは、ある種、「チャンス到来」です。
ここから、私の恋愛も人生もどう変わるのか、もう、「天任せ」です。

正直、死にたい気分はずっと続いてます。
死にたい、というより、こういう気分を味わうのがうんざりで疲れたのです。

だから、最後の砦で、私は「フルフィルメント瞑想」に取り組んでいます。

昔は、死ぬ期限を決めていましたが、その気力すらもうないです。
なので、どこまで続けられるかわかりませんが、
このブログと同時に私の人生も変わることを祈らざるを得ません。


クリックありがとうございます。 

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